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社長コラム

ラーメン3杯の教え。

2016年2月 1日掲載

 この原稿を書き始めたのは、あと10日余りで年が明けるという、師走の土曜日だった。
「おとうさん、今日はねぇ、ヨウコちゃんの店で、ラーメンを3杯もおかわりしたんだよ!1杯100円だよ!!』
 ここは利根川に程近い、小さな一軒家のお風呂場、季節は冬。向かい合って湯船に浸かる父親の名は宗三郎、41歳。息子の名は和男、10歳。・・・これは42年前の話である。おしゃべりで父親っ子だった私は毎晩、お菓子職人としての仕事を終えた彼に、ぴったりと張り付いて離れなかった。その日、私の小学校の同級生の両親が営むラーメン店が、新装オープンをした。同級生のヨウコちゃんは、漫画が好きな女の子で、自分で描いたイラスト付きのパンフレットを店の宣伝のため、クラスメイトに配っていた。小学4年生にして、自分の特技を、家業の役に立てていたのだ。一日中遊びまわり、夜は夜で、仕事で疲れている父親にまとわりついていた私とは、同じ商売屋に育つ子供として、雲泥の差があったと言わざるを得ない。ヨウコちゃんの店のラーメンは1杯200円だったと記憶している。それをオープン企画で、『1杯100円!』というサービスを、彼女の両親は提供したのだ。
『へーぇ、そりゃよかったなぁ。』
 湯気の中で得意げに話す私に、父親の宗三郎は笑って頷いた。しかし、次の瞬間、笑顔のまま、彼の声色が変わった。
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『今度は、みんなを連れて、200円のラーメンを食べに行ってやるんだな。』
『ヨウコちゃんのお父さんは、(今日のラーメンが美味しかったら、また来てくださいね)という思いで、サービスしてくれたんだからな。』
『100円のラーメンを3杯食べて喜んでるだけじゃ、ダメだなぁ。』
 この時の私はといえば・・・。お手柄と思っていたことを褒めてもらえず、不服そうに父の顔を見返していたに過ぎなかった。宗三郎はこの5年後、46歳の若さで亡くなり、彼が営んでいた商売は、ここで店じまいとなった。
 ・・・それから20年が経ち、私は勤めを辞め、自分の商売を始めた。すると、それまで忘れていた、あのお風呂場での父親の声がよみがえってきた。あの時とは違い、その言葉は私の心に気持ちよく響き、そして沁みこんだ。今では、私の「生き方」の基本と言ってもよい、彼からの教えである。師走の土曜日は、私の父親の38回目の命日でもあった。

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