みなさんは、『三波伸介』というコメディアンを憶えているだろうか。
代名詞ともいえるギャグは、今回のコラムのタイトルである。
もう40年以上前に亡くなっているので、私と同年配以上の方でないとピンと来ないかもしれないが、今月は彼に関係した事を書こうと思う。
春分の日を翌日に控えた3月第3水曜日の早朝。
ひょんなことから、私は彼のことを思い出した。
彼は今でも続く人気番組『笑点』の司会者を12年にわたって担当した。
当時、並み居る落語家たちを相手に、座布団をあげたり取り上げたりの絶妙な掛け合いから日曜夜のお茶の間を爆笑に巻き込み、彼は番組の人気を不動のものにした。
三波伸介が笑点の司会に就いた1970年当時は、私の父・宗三郎が営む「ヨシザワ製菓」も商売が繁盛し始めた頃と一致する。
日曜日も、妻である私の母・シゲ子とお菓子作りにその一日を費やしていた。
月曜日に配達する商品を袋詰めし、段ボール箱に並べて封をすると、その日の仕
事が終わり、場面は茶の間に替わる。
テレビを前にしたチャブ台には、とんかつと瓶ビール。
風呂上りの宗三郎はステテコ姿。
扇風機を横に微笑む写真が、今も残っている。
テレビの画面は、『笑点』である。
宗三郎は、浅草でお菓子職人の修行を13年積んだ。
5歳年上の伸介も、浅草で芸を磨いたと聞く。
宗三郎は、そこで伸介の修行時代を観たことがあったのだろうか。
私達子供が、ゲラゲラと腹を抱えて笑うのとは違い、達人としての技を絶賛していたように今は思える。
父親っ子だった私は、宗三郎が好きなものは、みんな好きになる。
とんかつとビールも然りであり、伸介は今でも、私にとってのコメディアンNo.1なのである。
・・・朝刊を取りに玄関ドアを開けた時に、私の目に一面の雪景色が飛び込んできた。
「びっくりしたなぁ、もう!」。
瞬間、伸介のギャグが私の口から飛び出したのである。
思いがけない春の雪に、遠い昔の記憶が甦った、朝の出来事だった。