暦の上では夏が始まる5月5日の昼過ぎ。
私の携帯電話が不意に鳴った。
会社もゴールデンウィークの休みに入り、私は、気の合う仲間とゴルフを楽しんでいた、その時である。
発信元に表示されたのは『さっちゃん』。
私の従姉である。
親戚の中でも、仲良くしてもらっている一人であるが、その電話には何故か普通ではないものを感じた。
彼女の父親と母親、私にとっての伯父と伯母は、かなりの高齢になっていたからである。
「あれ、もしや?」と思いながら電話に出た私に、従姉は言った
『昨日、おじいさんが、亡くなりました。』
おじいさんというのは彼女の父親で、以前このコラムにも登場した『半田んち』の当主、『半田のおじちゃん』である。
昭和3年生まれの満96歳だった。
今月は、おじちゃんにまつわる思い出を書かせてもらう。
私の両親は、前橋市総社町でヨシザワ製菓として商売を営んでいた。
次男である私の弟が生まれた頃には、お菓子作りの仕事は多忙を極めていた。
私の母・シゲ子は弟を背中に負ぶいながら、父・宗三郎の仕事を助けていたが、持て余すのが、3歳にしておしゃべり、おまけにわんぱくが始まった私だったという。
『とうちゃんに相談したら、「半田で預かるからカズオをうちに連れてくればいいや」って言ってるよ。』
おじちゃんの妻でシゲ子のすぐ上の姉から電話がかかってきた。
折しもシゲ子の母が北橘村からやってきて私の子守をしていた時である。
母親が持て余すくらいであるから、70歳を超えている祖母には、私の相手は少々重荷であったはずだ。
渡りに船と思った彼女は、私の手を引いて、バスに乗った。
国道17号を30分程北上すると『半田』のバス停にたどり着く。
国道沿いに建つ半田んちは、そこからわずか数歩の場所だった。
おもちゃの刀を腰に差し、私は意気揚々と庭に下り立つと、玄関の引き戸を開け、自慢の刀を抜き払った。
と、ここまで書いたところで、マス目が埋まってしまった。
つづきは、来月の後編で。